TEMBEA PolePole
~のんびり歩こうよ~
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2020年7月1日(水)
編集長・担当:菅原景一
1.はじめに
皆さん元気ですか?大分間が空いてしまいましたがこの原稿は5月の末に発行するつもりで書いていたもので、何度か修正しつつも発行できずに眠っていました。もともとの発行予定日は、五月最後の金曜日。スーパーフライデーでした。皆さんの意識の中に残っていますか・・・。
今はそれどころではない? そうですよね。その通りだと思います。でも、それで本当にいいのだろうか、少し考えてみてほしいと思います。今の時代がそうなのか、日本人の国民性がそうなのか私にはよくわかりませんが、「流行に乗りやすくて冷めやすい」。ちょっと前までは、スーパーフライデーとかブラックフライデーといって、巷の店舗でもインターネットでもセールを開催していましたよね?そうかと思えば9月入学を導入するとかしないとか、新しい生活様式が・・・とか言っていますよね。もう少し遡ると震災のことについても、原発のことについてもねー、時間の経過とともに記憶が薄れていくのは仕方ないことだとは思いますが、ちょっと流行りが切り替わるテンポが速すぎるとは思いませんか?頭の固い私にはいろいろ気になりすぎてついていけずに気にならなくなったりして・・・。まあ、私のことは置いといて。
この切り替えのテンポの速さ、少し異常だとは思いませんか?
また私見になってしまいますが、人間が生活していくうえで大切にしなければならないことってそうそう変わらないものだと思うんです。ちゃんとご飯を食べて、寝て、体と頭を使って、人と話をして、ということと、広い意味での先輩や祖先を敬って、自分たちの歴史や文化を大切にして・・・。ということではないのかと思うのです。
この機会にテレワークやオンライン授業、オンライン診療、オンライン法律相談などを推進しようという動きもありますが、本当にオンラインで大丈夫かな?家にひきこもっていて大丈夫かな?と思う今日この頃です。
2.ちょっと余談 『目を見て話す』
『暮らしのなかの工夫と発見ノート あたらしいあたりまえ。』(松浦弥太郎 著 PHP研究所 2012年)
~ 本から抜粋~
この秘訣を教えてくれたのは、まだ小さかった頃の娘でした。
「外から帰ったら、手を洗いなさい」
「ごちそうさまを言いなさい」
自分では大切だし、ちゃんと覚えてほしいと思っていることでも、娘の目を見て言わないと、さっぱり効き目がないのです。
どんなに声に威厳を込めたつもりでも、新聞を読みながらだと、まるでだめ。
「お父さんはこう言っているけど、手を洗うっていうのは、別に大事なことじゃないんだな」
きちんと目を見ていないと、子どもはたちまちそう判断してしまいます。よそ見をしながら口やかましく繰り返しても、「ごちそさま」をいうようにはならないのです。
目を見て話すことは、わかり合い、メッセジーを伝え、コミュニケーションをよくする秘訣。これは子供に限ったことではありません。仕事でも家庭でも、すべての場において有効です。
大人になると、ぎくしゃくすることは頻繁にあります。
環境も価値観も考え方も違う人たちの集まりである以上、意見が食い違ったり、誤解が生じてトラブルになることは珍しくありません。
「じっくり話し合えば、ちゃんとわかり合える」というのは、僕の見たところ、残念ながら理想論どちらかが妥協したり、お互いがちょっと意見を曲げたりして合わせているだけで、100パーセントの解決などありえないのが現実です。
あげくの果てに「話しても無駄だし、また同じことの繰り返しか」とうんざりし、コミュニケーションをあきらめてしまう―――ほうっておくとこんな事態に陥ることも、珍しくはありません。
それでもコミュニケーションをあきらめたくないと思ったとき、僕はこの秘訣を思い出しました。いくら意見が食い違っても、どんなにトラブルが燃え上がっても、必ず相手の目を見て話をするとういことを。
考え方がまるで合わず、最後まで言い分は平行線をたどるような議論でも、相手の目を見て話し続ければ、不思議なことに、相手に対する尊敬の念が湧いてきます。
たとえ「この人の言っていることは、間違っている!」と思っていても、相手の目を見て聞いていれば、「その人の人間性」に対しては、別の気持を抱くようになります。意見は認められなくても、人としては認められるということです。
とことん言い合っても目と目を見つめ合っていれば、不思議な一体感すら生まれます。結果として解決には至らなくても、悪い方向には向かわない。これだけは、何度も試した僕の保証付きです。
疲れていたり、へこんでいたりすると、人は目を見て話すことができません。そして下を向いていればいるほど、良くない事態がさらに悪化します。
さあ、洗い物をしながら大事な話をするのはやめましょう。パソコンから顔を上げて、まっすぐ目を見て話しましょう。
理解できない相手でも、受け入れられない相手でも、この秘訣を知っていれば、何か別の関係が生まれるはずです。
今日紹介する文章は、新たに読んで引用しているものです。使いまわしばかりも皆さんに失礼ですし、このタイミングにしてこの話題かと、自分でも引きの強さに驚いています。「1.はじめに」のところでテレワーク、遠隔授業に触れて本項へ話を振りましたが、読んでみてどう思いますか? ここで書かれていることもあくまでの著者の私見ですが、私は共感しました。
ちょうど今3歳の息子がいるんですが、彼に何かをきちんと行ってもらいたい時、目を見て話すと素直に実行されるのは事実。最近の在宅勤務でついやってしまうのが、PCで作業をしながらの注意です。そんな注意は無かったことのようにさらっと流される。逆に、子どもの問いかけに対する返事も同じで、作業をしながら生返事をしていると、同じことを何度も問いかけられます。一瞬でも作業を止めて、目を見て返事をすると、すぐに納得するのです。不思議ですよね。子どもは、大人よりも直感的で本能的に生きているからこそ、意識せずに実行しているんですね。反省しました。
テレワークやオンライン授業に話を戻すと、ここでも同じことが起きているのかもしれないと思いました。間違いなく形式的に必要な情報は伝達できているはず、教室での授業では使わなかったスライドを授業時間の数倍の時間をかけて準備して説明しているのだから・・・。なのに何か違和感があるんです。皆さんはありませんか?言葉ではうまく表現できないのですが・・・なんとなくいずい・・・という感覚。理由はここにあるのかもしれませんね。私は、納得してしまいました。顔は見えているんだけど、目と目を見ているのとは違うということなんですかね?
また、皆さんへのアンケートの結果からも、できることなら教室で授業を受けたいという回答が大半を占めているのもおそらくこういうことを無意識のうちに本能的に感じているのかなとも思っています。
やっと7月からは時間割も変更になって、対面授業が始まりますね。各学年週に一度は大学に来ることになりますかね。そうはいっても、まだまだ予断を許さない状況に変わりはないと思います。宮城県内の感染者は少しずつ増えていますからね。しっかり予防措置を実施して感染しないように努めましょう。
編集後記
オンライン授業に関するアンケートの結果をちらちら見ていて、あまり考えていなかった解答を見つけました。それは「カップラーメンはもう飽きました」というもの。アパートで独り暮らしをしている学生さんにとっては、学食等で食べる食事も生活のバランスを取るのに必要なことの一つだということ。んー、いろいろ考えているつもりでも、全然考えが及んでいないなと新たな気付きを貰いました。
この時空人号外も最近は私が思いつくことをそこはかとなくかきつくってしまっていますが、読んでくれている人にとっての何かしらになっていれば幸いです。
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